「遺族会」を、ご存じいただけていない方々が多くなってきたなあと感じています。

2025年(=令和7年)は、大東亜戦争(=先の大戦=第二次世界大戦)の敗戦(昭和20年8月15日=1945年)から80年です。

板野町遺族会は、この戦争において徴兵制によって戦争に行かされ戦死された方々(英霊)の追悼・顕彰と戦没者遺族(妻や子)の福祉を第一義として活動しております。

我々、青年部と称される世代は孫・ひ孫世代という「戦争を知らない世代」です。

 板野町では、先の大戦で551名の方々が徴兵され戦死なさっております。

板野町の東・西・南地区に戦没者の慰霊碑が建立されております。

毎年、第一四半期には町主催の戦没者追悼式が挙行されております。

昭和20年(1945年)の敗戦によって、連合国軍総司令部(GHQ)により発せられた「神道指令」は、靖国神社と国との関係を絶ち、自治体の慰霊祭・追悼式も禁止し、戦没者遺族への生活保障も停止するものでした。

昭和22年(1947年)、社会的冷遇をうけた全国の戦没者遺族の代表が東京に集まり、全国組織としての「日本遺族厚生連盟」を結成しました。

これがようやく、サンフランシスコ講和条約が発効・独立回復した昭和27年(1952年)、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」の制定によって戦没者遺族援護の途が開けました。

毎年8月15日、政府主催の「全国戦没者追悼式」が行なわれるようになったのも、この年からです。

以降、日本遺族会が発会し各都道府県および市町村へと「遺族会」は設立されての今日です。

 各地にある戦没者を追悼・顕彰する「慰霊碑」の清掃等は各自治体ごとの「遺族会」の会員が従事し続けております。

 しかしながら、歴史を重ねてきた組織の抱える共通課題はいつも高齢化です。

板野町遺族会の一次世代(戦没者の妻・子)の平均年齢は84歳を超えております。

戦没者(英霊)551柱に対し、現在の遺族会会員数は150名程度に激減しております。

「戦没者の孫・孫世代への承継が喫緊の課題」という深刻な現状の中での青年部創設ということです。

「戦没者への感謝と追悼、恒久平和の希求」ということは人類の共通課題であります。

これを承継していこうというのが青年部です。

 ご一緒に、思いを重ねていただければ幸甚です。

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